2024年6月19日水曜日

片上の偉人 松本史章 (岡山県備前市片上)


 

松本史章翁は明治三十三年十一月七日片上町に生まれる 人格温厚にして誠実 性格先見性に富み決断力に優れる昭和十一年 耐火煉瓦製造を始める昭和十五年片上耐火煉瓦株式会社に組織変更し同社の発展を通じて地域経済の振興に貢献する戦後混乱期の昭和二十二年四月片上町長 岡山県議会議員に就任し片上町の基盤づくりに尽力する愛する片上の発展と人材育成のため多額の私財をもって片上高校を創設する現在の岡山県立備前緑陽高等学校の前進でありその功績は多大である

時流を洞察し光んじて事を起こす明敏の士に非らざれば至難財を一代になしえかこれを公共に散ずる篤行刀士のみよくするところ、民は終戦前後世相混迷のさ中において、私財を投じ、県立備前高等学校の基盤を創設されたる明敏篤行の士

昭和四十七年七月んニ十八日 七十二歳をもって逝去される

2024年6月14日金曜日

三石の偉人:牧眞一(岡山県備前市三石)

 牧 真一(1952 年ヘルシンキオリンピック フェンシング)

[レリーフ説明板]

郷土三石の産んだスポーツの大先輩牧眞一先生は慶應義塾大学卒業全日本フェーシング選手権保持者でオリンピックヘルシンキ大会に出場しその後日本フェーシング協会会長として世界と対等のレベルに技術向上なされた先駆者であり実業界では三石高級耐火工業株式会社社長の激務の傍地域体育の振興に尽瘁され三石皆スポーツを推進しスポーツと音楽の町を建設された恩人です 

謹んでご遺徳を偲び顕彰すると共に後生の亀艦と讃えます

昭和52年6月10日永眠 従五位勲四等旭日小授章拝受 行年60才

昭和54年5月6日除幕

牧眞一先生顕彰会





三石の偉人:加藤忍九郎(岡山県備前市三石)

 加藤忍九郎 かとう-にんくろう

[加藤忍九郎像説明版]

翁は天保九年野谷村に生まれ名主役を勤めた維新後実業に志し先ず石筆を製造して教育に貢献し又大平鉱山を輿て蝋石を採掘し続いて耐火煉瓦の製造に神機軸を発揮した 更に山陽鉄道の開通に精魂を盡くし社会事業にも協力されるなど茲にその遺徳を称えて顕彰する 

行年八十一才

昭和四十三年十月𠮷日

加藤忍九郎翁顕彰会


1838-1918 明治時代の実業家。

天保(てんぽう)9年生まれ。明治5年岡山県野谷村(備前市)のろう石を原料に石筆の製造をはじめ,小学校での普及により事業を発展させる。また23年三石煉瓦(れんが)製造所を設立し,日清(にっしん)戦争下で急成長をとげた。大正7年7月5日死去。81歳。備前(岡山県)出身。

忍九郎氏は、三石の蝋石を使った事業の展開を推し進め、また蝋石を運ぶための山陽鉄道敷設に尽力したことから、地元の名士として現在も顕彰されています。

加藤忍九郎が耐火煉瓦を試作する際、地元の伝統産業、備前焼を焼く技術が役に立ちました。

最初の耐火煉瓦は、備前焼の登り窯で焼いたという記録があります。

耐火煉瓦の原料・蝋石の産地であったこと、煉瓦を焼くための窯があったこと、その二つが重なりあったことが、この地区が国内最大の耐火煉瓦の生産地となりえた大きな要因となっています。

やがて明治政府は富国強兵を推進してくと同時に、国内の産業育成政策を政府主導で推し進め、日本各地に製鉄所を建て、鉄を溶かす反射炉を築造します。

参考文献「社名:土橋鉱山株式会社

本社所在地:〒705‐0132 岡山県備前市三石2602番地

https://www.tsuchihashi-kozan.co.jp/